炭火焼きとは
炭火焼きとは、木炭を燃料として、その熱を利用して肉や魚、野菜などの食材を焼く調理方法です。
現在では、焼き鳥、うなぎの蒲焼、焼肉、焼き魚など、さまざまな料理で炭火が使われています。
ただし、炭火焼きには「○○年に○○という人物が発明した」といった明確な発祥地や発明者が存在するわけではありません。
炭火焼きの歴史を理解するためには、「人類が火を使って食材を加熱してきた歴史」と「木炭を作って燃料として利用してきた歴史」を分けて考える必要があります。
炭火焼きの発祥は明確には分かっていない
人類は木炭よりも古くから火で食材を加熱していた
人類は非常に古い時代から、火を使って食材を加熱してきたと考えられています。
初期の調理では、薪などを燃やした火や、その後に残る熾火を利用して、肉や植物などを焼いていたとみられます。
一方、木炭は木材を酸素の少ない状態で加熱して炭化させた燃料です。
自然火災や焚き火などによって生じた炭化木材を人類が利用したことが、木炭利用の原型の一つだったと考えられています。
その後、意図的に木材を炭化させて木炭を作る技術が発達し、木炭は暖房や金属加工、調理など、さまざまな用途に利用されるようになりました。
世界で最初の炭火焼きを特定するのは難しい
炭火焼きについて、「世界で最初にどこで始まったのか」を特定することは困難です。
遺跡などから炭化した木材が見つかったとしても、それが調理に使われたのか、暖房に使われたのか、製鉄などの金属加工に使われたのかを判断できない場合があります。
そのため、炭火焼きについて特定の国や年代を「発祥」と断定するのは適切ではありません。
炭火焼きは、人類の火の利用と木炭製造技術の発達によって、各地域で徐々に形成されてきた調理文化と考えるのが自然です。
木炭が燃料として発達した理由
薪とは異なる特徴を持っている
木炭は、木材をそのまま燃やす薪とは異なる性質を持っています。
良質な木炭は比較的高い温度を維持しやすく、炎や煙を抑えながら長時間燃焼させやすいという特徴があります。
こうした特徴は、調理だけでなく、製鉄や鍛冶などの金属加工にも適していました。
特に高温を必要とする金属加工では、木炭は重要な燃料として利用されてきました。
そのため、木炭の製造技術は料理だけを目的として発達したわけではありません。
製鉄、暖房、調理など、さまざまな用途に利用されるなかで木炭の生産技術が発達し、その一部が炭火調理にも使われるようになったと考えられます。
日本における木炭の歴史
紀元前3世紀ごろから木炭が使われたとされる
林野庁の資料によると、日本では紀元前3世紀ごろから製鉄に木炭が使われ始めたとされています。
鉄を製造・加工するためには高温が必要だったことから、木炭は重要な燃料となりました。
このころから、金属加工に適した良質な木炭を作る技術も発達していったと考えられています。
ただし、この時期に木炭が使われていたからといって、「紀元前3世紀に現在のような炭火焼き料理が成立していた」と考えることはできません。
木炭利用の歴史と、炭火料理の歴史は分けて考える必要があります。
飛鳥・奈良時代には調理にも炭が使われる
暖房や調理用の燃料として普及する
飛鳥時代から奈良時代になると、木炭は製鉄だけでなく、日常生活でも使用されるようになりました。
林野庁の資料では、豪族の邸宅などで、暖房や調理のために大量の炭が使われるようになったとされています。
このことから、少なくともこの時代には、木炭が調理用燃料の一つとして利用されていたことが分かります。
奈良の大仏と製炭技術
奈良時代には、東大寺の大仏鋳造をはじめとする大規模な金属加工が行われました。
こうした事業には大量の燃料が必要だったため、木炭の生産量や製造技術も発達していったと考えられています。
製炭技術の向上は、その後の日本における炭文化の発展にもつながりました。
平安時代には炭が生活文化に定着する
公家社会でも炭が使われる
平安時代になると、木炭は公家社会などでも広く利用されるようになります。
『枕草子』には、火鉢の前身とされる「火桶」や、炭を入れる「炭櫃」に関連する記述があります。
この時代には、炭が暖房用燃料として重要な役割を持っていたことがうかがえます。
その後、炭の利用は武家社会などにも広がっていきました。
ただし、こうした記録は主に生活燃料や暖房に関するものです。
平安時代に現在のような炭火焼き料理が一般的だったことを示すものではありません。
安土桃山時代以降は茶の湯によって炭文化が発達
炭の品質や見た目まで重視されるようになる
日本の炭文化に大きな影響を与えたものの一つが茶の湯です。
安土桃山時代以降、茶道が発達すると、炭には単に燃料としての性能だけでなく、形や大きさ、色、燃え方なども求められるようになりました。
茶席では炭そのものも演出の一部として扱われるため、茶道用の炭には高い品質が必要になります。
その結果、茶の湯に適した木炭を作る製炭技術が発展しました。
こうした文化は、日本における木炭の品質向上にも大きな影響を与えたと考えられます。
江戸時代に木炭が庶民へ広く普及する
都市生活を支える燃料になる
江戸時代になると、江戸や大坂などの都市が大きく発展しました。
人口の増加に伴い、調理や暖房のための燃料需要も増加します。
そのなかで木炭は、都市生活を支える重要な燃料の一つになりました。
山間部で生産された木炭が都市部へ運ばれ、家庭や料理店などで使用されるようになります。
こうした木炭の生産・流通の発達によって、炭を使った調理も身近なものになっていきました。
江戸時代には備長炭も発達する
紀州で高品質な白炭が作られる
現在でも高級な炭として知られているのが備長炭です。
備長炭は白炭の一種で、非常に硬く、火持ちがよいことなどで知られています。
特に和歌山県で生産される紀州備長炭が有名です。
紀州備長炭では、主にウバメガシなどが原木として使われます。
元禄年間ごろに備長炭が知られるようになる
林野庁の資料では、江戸時代の元禄年間ごろに備長炭が開発され、全国的に知られるようになったと紹介されています。
紀州では藩によって製炭業が奨励され、高品質な白炭の製造技術が発達しました。
ただし、備長炭については成立時期や名称の由来などに複数の説があります。
そのため、「○年に特定の人物が備長炭を発明した」と断定するよりも、「江戸時代に紀州で高品質な白炭の製造技術が発達し、備長炭として知られるようになった」と説明するのが適切です。
備長炭の名称には複数の説がある
「備長炭」という名称については、紀州田辺の商人である「備中屋長左衛門」が取り扱っていた白炭に由来するという説が広く知られています。
ただし、名称の由来には諸説あるため、これを唯一の確定した説として断定するのは避けたほうがよいでしょう。
参考サイト
紀州備長炭記念公園|備長炭発祥の地・和歌山県田辺市秋津川と紀州備長炭の歴史
江戸時代には蒲焼などの焼き物料理も発達
1668年には「鰻の蒲焼」が記録されている
江戸時代になると、現在につながるさまざまな焼き物料理も発達しました。
国立国会図書館によると、寛文8年にあたる1668年の料理書『料理塩梅集』には、すでに「鰻の蒲焼」という料理が記録されています。
そのため、江戸時代前期には、うなぎの蒲焼という料理が存在していたことが確認できます。
当時から炭火だったとは断定できない
注意したいのは、「1668年に蒲焼が存在したこと」と「1668年に現在と同じ炭火調理が行われていたこと」は別の話だという点です。
資料から確認できるのは、当時「鰻の蒲焼」という料理が存在していたことまでです。
その調理方法が現在とまったく同じだったか、また炭火をどのように使用していたかまでは断定できません。
したがって、炭火焼きの歴史を説明するときには、「江戸時代に蒲焼などの焼き物文化が発展した」とするのが適切です。
黒炭と白炭の製造技術も発達する
黒炭とは
日本の伝統的な木炭は、大きく黒炭と白炭に分けられます。
黒炭は、木材を炭化させたあとに窯を密閉し、窯の中で火を消して冷却する方法で作られます。
比較的着火しやすく、さまざまな用途に利用されてきました。
白炭とは
白炭は、炭化した木材を高温の状態で窯から取り出し、灰などを使って窯外で消火する方法で作られます。
備長炭は、この白炭の一種です。
非常に硬く、火持ちがよいことから、現在でも焼き鳥やうなぎなどの料理店で使われています。
なお、「白炭=備長炭」ではありません。
備長炭は、白炭という大きな分類の中に含まれる炭です。
明治から大正時代には焼き鳥文化も発展
現在につながる焼き鳥が登場する
焼き鳥の歴史については、現在の焼き鳥につながる串焼き料理が江戸時代末期には存在していたとされています。
一方、「焼き鳥」という食品が本格的に登場するのは明治末期ごろとされています。
さらに大正時代になると、焼き鳥の専門店も登場しました。
当時は鶏肉が現在ほど安価ではなかったため、牛や豚の内臓などを串に刺して焼いたものも「焼き鳥」として扱われることがありました。
その後、炭火を利用した串焼き料理が庶民的な外食文化として広まっていきます。
昭和前期までは炭が家庭でも身近な燃料だった
七輪や火鉢などで広く使われていた
電気やガスが現在ほど普及していなかった時代、木炭は家庭でも日常的に利用されていました。
七輪や火鉢、かまどなどで炭を燃やし、食材を焼いたり、お湯を沸かしたり、暖を取ったりしていました。
そのため、当時の炭火調理は、現在のような特別な料理方法というよりも、日常的な加熱手段の一つだったと考えられます。
昭和30年代以降は家庭での炭利用が減少
ガスや電気などの普及が大きな転換点になる
戦後の高度経済成長期になると、日本の家庭にガスや電気、灯油などが急速に普及しました。
ガスコンロや電気調理器は、木炭と比べて点火が簡単で、火力調整もしやすく、後片付けにも手間がかかりません。
こうした利便性から、昭和30年代以降、家庭で使用される木炭の量は大幅に減少しました。
その結果、七輪や火鉢などを使った日常的な炭火調理も徐々に減っていきました。
現代では飲食店やアウトドアで炭火文化が続いている
飲食店では炭火ならではの特徴が重視されている
家庭での日常的な炭利用は減少しましたが、炭火調理そのものがなくなったわけではありません。
現在でも、焼き鳥店、うなぎ店、焼肉店、日本料理店などでは炭火が広く利用されています。
炭火では強い熱を利用できるほか、食材との距離や炭の配置によって細かく火加減を調整できます。
そのため、表面を香ばしく焼き上げながら、内部まで適切に火を通すといった調理がしやすくなります。
また、食材から落ちた脂やたれが加熱され、その際に生じる煙や香りが料理に加わることも、炭火料理ならではの特徴の一つです。
アウトドアでも炭火は身近な存在
現代では、バーベキューやキャンプなどのアウトドアでも木炭が広く使われています。
家庭の主要な調理燃料という役割は小さくなりましたが、「炭火ならではの料理を楽しむための燃料」として利用され続けています。
炭火焼きの歴史を時代ごとに整理
炭火焼きの歴史を簡単にまとめると、以下のようになります。
先史時代
人類が火を使って食材を加熱する文化を発達させます。
ただし、この段階で木炭を意図的に使った炭火焼きが成立していたかは明確ではありません。
紀元前3世紀ごろの日本
製鉄などに木炭が使われ始めたとされています。
木炭製造技術も徐々に発達していきます。
飛鳥・奈良時代
豪族の邸宅などで、暖房や調理にも木炭が使われるようになります。
平安時代
公家社会などで炭が生活燃料として定着し、武家社会にも広がっていきます。
安土桃山時代以降
茶の湯の発達により、茶道用の高品質な木炭が求められるようになります。
江戸時代
木炭が庶民にも広く普及し、紀州では備長炭などの高品質な白炭が発達します。
また、蒲焼などの焼き物料理も広まっていきます。
明治・大正時代
焼き鳥など、現在につながる炭火系の外食文化が発達します。
昭和前期
七輪や火鉢などを通じて、木炭が家庭でも広く使われます。
昭和30年代以降
ガスや電気、灯油の普及によって、家庭での日常的な木炭利用が急速に減少します。
現代
家庭用燃料としての利用は減少したものの、焼き鳥やうなぎ、焼肉などの飲食店、茶道、バーベキューなどで炭火文化が受け継がれています。
炭火焼きは長い時間をかけて形成された調理文化
炭火焼きには、特定の国や人物による明確な「発明」があるわけではありません。
人類が火を利用して食材を加熱するようになり、その後、木材を炭化させて木炭を作る技術が発達したことで、木炭も調理用燃料として使われるようになりました。
日本では、古代から製鉄などに木炭が利用され、飛鳥・奈良時代には調理や暖房にも使用されるようになります。
さらに、茶の湯による製炭技術の発展、江戸時代の木炭流通の拡大、備長炭の発達、蒲焼や焼き鳥などの食文化の発展を経て、現在につながる炭火文化が形成されました。
つまり炭火焼きは、ある時代に突然生まれた調理方法ではなく、火の利用、製炭技術、生活文化、料理文化が長い時間をかけて組み合わされながら発展してきた調理文化と考えるのが適切です。
以上、炭火焼きの発祥や歴史についてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
